依然として妥協を許さない状況だが、勇敢な人達の懸命な作業があっての今。
一時は福岡に避難することも考えたが、最悪な状況にならないかぎりその策は取らないだろう。
ここのところ、いろいろな人のブログ等を通じて千葉や湘南でサーフィンをしている人たちがいるのを知った。
これについては様々な意見があるだろうが、それを議論する必要はない。
ひとつ、放射能が海に漏れていると考えるとそれは心配だが。
考えてみて欲しい。
サーファーはなぜ波に乗るのか。
サーフィンはいつもぼくの心を癒してくれた。
サーフィンは多くの友達を与えてくれた。
サーフィンは自然の大きさと人間のちっぽけさを教えてくれた。
サーフィンだけに及ばず、自然に触れるスポーツは人生のなんたるかを教えてくれる。
サーファーはなぜ波に乗るのか。
是非もう一度考えたい。
今サーフィンしてる人を非難するサーファー。
今サーフィンしない自分を素直に受け入れられない自分の中のサーファー。
サーフィンをしないことは被災した人を救うことにはならない。
だから海に行こうとは思わないけど。
でもきっとサーフィンしている人は、またサーフィンから何かを教わり日々を過ごすのでしょう。
日本に帰ったら精いっぱいの力と愛で恋人を抱きしめ、無事を喜び、共に生きる素晴らしさを分かち合うだろ
う。
一緒にご飯を作り食べ、精いっぱいの支援と節電・節ガスに尽くし、空いた時間でサーフィンをして。
そんなことが出来ればきっと幸せだろう。
有名なカメラマン・ジムルッシが昔雑誌で言っていたこんな言葉がある。
「今そのとき自分が幸せでなければ、どんな場所にいようとどんな場所に行こうと、幸せではないのさ。」
簡単に言うと、幸せの価値観は自分のみが決めるということ。
場所、食べ物、お金、愛。
それらをどう感じ受け入れるかが大切なことであって、それらが何かはさほど重要ではない。
もう一つ。
母の言葉でこんなものがある。
「全ては相対性によって成り立っている。」
どういうことかと言うと、白があれば黒があり、明日があれば昨日がある。
喜びを知るためには苦しみを知らねばならず、明日を生きるためには昨日がなければならない。
だから痛みや苦しみを嫌わず、それを知れることを喜びなさい。
と教えられた。
それ以来、何があっても前を向いて生きれるようになった。
きっと僕は今回の地震を体験しなかったことにより、復興したときの喜びを感じることは出来ないだろう。
少し不自由な生活は、自由な生活のありがたみを教えてくれるだろうけど。
乱文となってしまい申し訳ない。
ぼくのブログを読んでくれたことで、何か少しでも感じてもらえたら幸せです。
またみんなでサーフィン出来る日が来たら、幸せを分かち合いましょう。
その日が来るのが楽しみです。
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そしてりょうちゃん。
いつもいつもありがとう。
あなたがいなければ今の僕はいませんよ。
かけがえのない存在です。
帰ったら思いきりハグして、いつもの日常を楽しもうね。
そしてまたサーフィンしよう。
大好きだよ。
ありがとう。
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